今より、もっと
2012年 03月 28日
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アトリエでのたくさんの積木の回
高~く積み上げたこの作品は、モン・サン=ミシェルをイメージしたもので
制作前に、資料を見て作りたい形を膨らませていました
最後に海に見立てた木製ビーズを敷き詰め完成!
このビーズが子供たちに大うけで、ずっとさわって遊んでいました
古から高い塔は”天に近い”ということから「信仰用」で「祈り」の対象となっていたようですが
昨今は、権威を象徴するものに変わってきておりその在り方はまるで「バベルの塔」を彷彿させるようで
「高かったらどうやねん!」とつっこみをいれたくなる私です
それに関連して昔から、私が疑問に思っていたことに
「人はどうして、今よりもっと!を求めるのか」
というのがあります
求めるものには限りが無いと同時に「今はまだ不十分である」という認識を伴うことから
何か満たされない虚無感を抱くと思うのです
もし、「今のままで100%完璧だ」と思えたなら、どれだけ満たされた心地になることでしょう
けれど、もし「今に満足」してしまったら、今以上の発展や可能性は閉ざされるわけで
そうすると「満たされない気持ち」のほうが健全なのかと思ったり
で、ですね
先日、実家へと高速道路を1時間走っていた時にふわ~!っと降りてきたイメージがあって
それが消えないうちに、言葉に表しておこうとこの記事を書いているわけですが(長い前ふりだ~)
話を整理すると
「今より、もっと」という気持ちは人の遺伝子に組み込まれた呪文のように
たえず私たちに、つきまとっているのですが
そこに「愛」があるか、無いかでまるっきり正反対のものになるのではないかと・・・
「愛のある成長」は発展し、豊かさをもたらします
けれど
「愛のない成長」は衰退し、崩壊していきます
親子関係、社会生活、政治、経済、技術・・・
全てのものに当てはまるように思いますがどうでしょう?
行為は同じでも、それに携わる人の想いひとつで結果は大きく変わってくるのです
人はそれぞれ、色んなテーマを持っていて、様々な活動をしていますが
求めるものをひとつの言葉に集約すると
「幸せになりたい」
ただ、それだけなんですよね
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by manarin001
| 2012-03-28 12:02
| 2年生(~2012年3月)
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