子どもの瞳が輝くとき
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今より、もっと
2012年 03月 28日 |
今より、もっと_a0137922_11294441.jpg
アトリエでのたくさんの積木の回
高~く積み上げたこの作品は、モン・サン=ミシェルをイメージしたもので
制作前に、資料を見て作りたい形を膨らませていました
今より、もっと_a0137922_11302564.jpg

最後に海に見立てた木製ビーズを敷き詰め完成!

今より、もっと_a0137922_1130732.jpg
このビーズが子供たちに大うけで、ずっとさわって遊んでいました

古から高い塔は”天に近い”ということから「信仰用」で「祈り」の対象となっていたようですが
昨今は、権威を象徴するものに変わってきておりその在り方はまるで「バベルの塔」を彷彿させるようで
「高かったらどうやねん!」とつっこみをいれたくなる私です

それに関連して昔から、私が疑問に思っていたことに
「人はどうして、今よりもっと!を求めるのか」
というのがあります

求めるものには限りが無いと同時に「今はまだ不十分である」という認識を伴うことから
何か満たされない虚無感を抱くと思うのです
もし、「今のままで100%完璧だ」と思えたなら、どれだけ満たされた心地になることでしょう

けれど、もし「今に満足」してしまったら、今以上の発展や可能性は閉ざされるわけで
そうすると「満たされない気持ち」のほうが健全なのかと思ったり


で、ですね

先日、実家へと高速道路を1時間走っていた時にふわ~!っと降りてきたイメージがあって
それが消えないうちに、言葉に表しておこうとこの記事を書いているわけですが(長い前ふりだ~)

話を整理すると
「今より、もっと」という気持ちは人の遺伝子に組み込まれた呪文のように
たえず私たちに、つきまとっているのですが

そこに「愛」があるか、無いかでまるっきり正反対のものになるのではないかと・・・

「愛のある成長」は発展し、豊かさをもたらします

けれど

「愛のない成長」は衰退し、崩壊していきます

親子関係、社会生活、政治、経済、技術・・・

全てのものに当てはまるように思いますがどうでしょう?
行為は同じでも、それに携わる人の想いひとつで結果は大きく変わってくるのです

人はそれぞれ、色んなテーマを持っていて、様々な活動をしていますが
求めるものをひとつの言葉に集約すると

「幸せになりたい」

ただ、それだけなんですよね



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